ぷろふぃーる
おすすめ名所
おすすめ作品
江戸っ娘16判定
ぷろふぃーる
生没年月日天保9年(1838)3月6日~
明治29年(1896)10月15日

出身地京橋桶町or日本橋新材木町

お墓清運寺(山梨県甲府市)

きゃら男勝りだけど物静か

Q.あだ名があるそうですが。
A.えーっと、鬼小町だそうです(-"-)

Q.なにか資格をお持ちだと。
A.北辰一刀流小太刀免許皆伝・薙刀師範です。

Q.趣味は?
A.琴を弾くことと絵を描くこと。

Q.特技は?
A.お灸です。

Q.結婚歴があったと……?
A.えっ!!! どうして知ってるの?
千葉さな
その人生
  北辰一刀千葉周作の弟・定吉の娘。
  10代で免許皆伝の腕前に達する腕前で、宇和島藩伊達家の剣術師範を務めるようになる。16歳のとき、江戸に遊学していた坂本龍馬が父の道場に入門。翌年土佐に帰国。
  安政3年(1856)、さな19歳、再び龍馬が江戸にやってきて、このころから二人の関係に変化が見られるようになる。さな自身の回想によると、安政5年に二人は婚約。父・定吉は龍馬のために黒紋付きの小袖を用意した。龍馬も土佐藩脱藩後の文久3年(1863)、姉・乙女に、さながいかによくできた女性かを紹介する手紙を送っている。
  しかし国事に奔走し日本をまたにかけて活躍する龍馬は、やがて江戸のさなとは疎遠になり、京都でおりょうと結婚してしまう。
  健気なさなは、剣術を生業としながら明治維新を乗り越えたが、37歳のとき、元鳥取藩士・山口菊次郎に求婚される。父定吉には「おまえの命はかつて龍馬の霊前に捧げようとしたのではなかったのか」と反対されたが、さなは龍馬の七回忌がすんだことを機に受諾した。しかしその生活は10年と続かなかった。離婚したさなは、後に千住で灸治院を開業(この前に学習院女子部の舎監として奉職したという説も)。ひっそりと余生を過ごしたという。
© NetAdvance Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.