北辰一刀千葉周作の弟・定吉の娘。
10代で免許皆伝の腕前に達する腕前で、宇和島藩伊達家の剣術師範を務めるようになる。16歳のとき、江戸に遊学していた坂本龍馬が父の道場に入門。翌年土佐に帰国。
安政3年(1856)、さな19歳、再び龍馬が江戸にやってきて、このころから二人の関係に変化が見られるようになる。さな自身の回想によると、安政5年に二人は婚約。父・定吉は龍馬のために黒紋付きの小袖を用意した。龍馬も土佐藩脱藩後の文久3年(1863)、姉・乙女に、さながいかによくできた女性かを紹介する手紙を送っている。
しかし国事に奔走し日本をまたにかけて活躍する龍馬は、やがて江戸のさなとは疎遠になり、京都でおりょうと結婚してしまう。
健気なさなは、剣術を生業としながら明治維新を乗り越えたが、37歳のとき、元鳥取藩士・山口菊次郎に求婚される。父定吉には「おまえの命はかつて龍馬の霊前に捧げようとしたのではなかったのか」と反対されたが、さなは龍馬の七回忌がすんだことを機に受諾した。しかしその生活は10年と続かなかった。離婚したさなは、後に千住で灸治院を開業(この前に学習院女子部の舎監として奉職したという説も)。ひっそりと余生を過ごしたという。