ぷろふぃーる
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江戸っ娘16判定
ぷろふぃーる
生没年月日天正7年(1579)~
寛永20年(1643)9月14日

出身地丹波国(兵庫県)

お墓麟祥院(東京都文京区)

きゃら正義感が強い。愛情深い。賢い。

Q.お名前の局って、あのOLの間で使われているお局さまの由来だったりするの?
A.おーえる……何ですか、それ。天皇から春日という号を賜り、以降、春日局と呼ばれてるんですよ。

Q.それがいちばん自慢できること?
A.はい、寛永6年(1629)将軍の名代として後水尾天皇に謁見しました。これで幕府の権力、将軍の威光を広く知らしめることになったと自負しております。

Q.ライバルはやはりお江さまですね。
A.もちのろんです。じゃなくて、ノーコメントです。

Q.家光さまはあなたと家康さまの子だという噂がありますが。
A.後学のために聞きますが、誰が言ってるの!
春日局
その人生
  父は明智光秀の重臣斎藤利三、母は稲葉氏の娘。俗名・お福。
  4歳のとき、父利三が山崎の戦い※で自刃(一説に京都粟田口にて磔刑)。母方の親戚・稲葉氏の間を転々として過ごす。年ごろになると一族の稲葉正成に嫁ぎ、19歳のとき、第一子・正勝を生む。その後も子宝に恵まれたが、浪人(つまり無職)であった夫とは不仲であったようで離別。
  このころ、2代将軍・徳川秀忠の嫡子、家光(当時は竹千代)の乳母の公募があり、お福はこれに応募。斉藤利三の娘という経歴が光り、26歳で江戸城に招へいされた。このとき、長男も竹千代の小姓の一人として採用されている。
  竹千代は実の母のであるお江に疎まれ、世嗣の座もあやぶまれるようになっていった。状況を重く見たお福は、ひそかに大御所・家康に報告(つまりチクったってことですね)。家康の鶴の一声で、家光は無事に世嗣の座につくことができた。その後は家光のため、本丸大奥を整備。将軍家だけでなく、大名家の妻たち、幕閣等にも一目置かれる存在になっていく。51歳のときに、将軍の名代として参内。天皇から春日号を授かるなど、名実ともに大奥のトップに君臨した。65歳で病に倒れ没。彼女の辞世は、その人生がいかに激しいものであったかを物語っている。

  西に入る 月を誘い 法(のり)をへて 今日ぞ火宅を 逃れけるかな

※天正10年(1582)中国征討中の羽柴秀吉が本能寺の変を知って山城の山崎で明智光秀を破った戦い。秀吉の全国制覇のきっかけ。
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