隅田川のほとり、長命寺にある茶屋、山本屋二代目・金五郎の娘として生まれる。山本屋は桜餅が有名で、おとよが15歳のころ、歌舞伎にも取り上げられた(『都鳥廓白浪』)。
年ごろになると無類の美人としてその名が知れわたり、山本屋はおとよ目当ての客であふれるようになる。しかし人気絶頂の安政4年、18歳のとき、突如老中・阿部正弘※(39歳)の妾として石原町の福山藩下屋敷に囲われてしまったのだ。
どうやら、阿部が母のために桜餅を買いに駕籠で長命寺を訪れた際、給仕していたおとよの可憐な姿に一目惚れ。身分が違うため、駕籠で訪れては遠くからそっと眺めるという、ストーカー的な行為を繰り返していた。ある日、御三卿の田安慶頼もおとよを狙っているらしいという噂を耳にする。田安は近くの牛島神社参詣にかこつけて、桜餅を購入。おとよに駕籠まで持ってこさせ物色したのだという。これを聞いた阿部の理性は振り切れ、おとよを強引に自分の物にしたのだった。
権力にものを言わせた阿部の所業に世論が猛反発。政治家として致命的なほど人気が失墜し、心労から突如病に倒れ、阿部は亡くなった。
阿部が死んだ後も、おとよは福山藩下屋敷に住んでいたが、明治になってから向島の実家に戻り、内縁の夫とともに長命寺の裏門脇に2階建ての家を建てて、家業を手伝った。娘が一人いたが、その娘が伝染病に罹って、隔離病院に入れられると聞いて倒れ、大正3年に75歳で亡くなった。
※江戸末期の老中で備後(びんご)福山藩主。幕末の開国のときの老中首座として日米和親条約を締結した。