ぷろふぃーる
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江戸っ娘16判定
ぷろふぃーる
生没年月日?~天和3年(1683)3月29日

出身地本郷

お墓圓乗寺(東京都文京区)

きゃら恋愛体質

Q.お七さん、後世でもほんとうに有名ですよね。
A.ありがとうございます。
井原西鶴さんの小説『好色五人女』がきっかけで、浄瑠璃、歌舞伎、落語で取り上げていただいています。※1

Q.特技は?
A.一目ぼれ。

Q.長所は?
A.行動力、あります。

Q.短所は?
A.あえていえば、放火癖☆(・ω<)てへぺろ

Q.どんなファッションが好み?
A.麻の葉鹿の子模様が好きです。※2

※1 人形浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」/歌舞伎舞踊「櫓のお七」/古典落語「お七の十」
※2 化政年間に五代目・岩井半四郎がお七を演じたときに着たことから大流行した模様。
八百屋お七
その人生
  本郷森川宿の裕福な八百屋の娘に生まれる。
  天和2年(1682)12月28日の大火の際、実家が類焼し、家族とともに菩提寺である圓乗寺(吉祥寺ともいう)に避難。このとき、寺の住職の小姓(つまり衆道の相手)・吉三郎(佐平/佐兵衛とも)と恋仲になる。やがて実家が新築され、二人は離れ離れになるのだが、吉三郎への愛しい思いは募るばかり。
  翌年の3月2日、ついに「もう一度火事になれば、吉三郎様に会える……」と放火を決行(思春期女子の恋愛テンションってすごい!)。発見が早かったため大事には至らなかったものの、江戸時代、放火は重罪である。市中引き回しのうえ、3月29日に、鈴ヶ森で火刑となった。
  彼女の辞世として伝わっているのは以下の句である。

  世の哀れ 春ふく風に 名を残し おくれ桜の けふ(今日)散りし身は

  以降、八百屋お七の悲恋は、江戸時代を通して最もポピュラーな物語の一つとして親しまれた。さまざまな俗説が生まれ、芝居や浄瑠璃の題材にもなっている。
  また、享和(1801~04年)のころにはやった流行性感冒(インフルエンザ)は、同時期にお七を題材とした小唄が流行したことから"お七風邪"と呼ばれた。
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